公開: 2020年4月8日
更新: 2020年4月8日
古代ギリシャのアリストテレスは、プラトンが主張したイデア論が述べているイデアは、それが本当に存在しているものではなく、ある意味で、人間が勝手に作り上げた架空のものに過ぎないと主張しました。従って、例えば「人間のイデア」は決められるとしても、そのような「人」がいるわけではないので、何かの問題の解決のためにはならない、と言いました。
アリストテレスは、本当に存在する解決策は、実際の問題を解決した例の中にあり、最も良い解決策は、実際の解決策の中の、極端なものを取り除いた後に残った、最も中間的なものであると言いました。
例えば、「善」を例にすれば、プラトンのイデア論では、人間がこれまでに為した善の例を集めて、それらの例に共通するものをまとめて、それを「善」と定義するのですが、そんな「善」が本当に存在するかどうかは分からないと、アリストテレスは言いました。
それに代わって、アリストテレスの善は、実際の人間が行った善の例を集めて、その中から極端な条件下で行われた善行を除いてゆき、最も普通で、バランスの良い例を見つけ出せば、本当の善行が決まると言ったのです。そのような意味で、最もバランスの良い例を特徴づけるものが「中庸(ちゅうよう)」であり、普通のものということです。
プラトンがどのような条件下でも「絶対に善いと言える理想的な「善」がある」としたのに対して、アリストテレスは、本当に「善」なのかどうかは、条件が変われば、変わるかも知れないと言いました。例えば、違う社会には、違う「善」があるかも知れないと、言いました。
マケドニアの王で、古代ギリシャからペルシャやエジプトを攻め、現在のアフガニスタンまで攻め、巨大な帝国を築いたアレキサンダー大王は、アリストテレスの教えを受け、ギリシャ人の視点で占領した民族の人々を治めるのではなく、その土地の人々の視点からも受け入れられる政治を行ったとされています。